映画『君の名は。』時系列が複雑!?わかりにくいと批判を受ける内容を整理&考察!!

2016年8月26日に公開された『君の名は。』、少年少女の葛藤と恋愛を描いた新海誠監督の作品です。

 本作の特徴はなんといっても“入れ替わり”です。主人公の立花瀧とヒロインの宮水三葉が突如謎の現象に襲われます。

体と中身が「入れ替わっている!?」→この言葉はやりましたよねぇ。

 これだけを聞くとなんら問題はなさそうですが、どうして「わかりにくい」「純粋に楽しめない」と批判を受けるのでしょうか。時系列を整理しながら考察していきましょう。

 それでは、いってみよー!

 


※ネタバレを含みます。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。


作品情報

 

「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、
男女の心の機微を美しい風景描写とともに繊細に描き出すアニメーション作品を手がけ、
国内外から注目を集める新海誠監督が、前作「言の葉の庭」から3年ぶりに送り出したオリジナル長編アニメ。
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」などで知られる田中将賀がキャラクターデザインを手がけ、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などスタジオジブリ作品に数多く携わってきた安藤雅司が作画監督、主題歌を含む音楽を人気ロックバンドの「RADWIMPS」が担当した。
国内興行ランキングでは公開から29週連続でトップ10入りを果たし、興行収入250億円を超える歴史的な大ヒットを記録。第40回日本アカデミー賞ではアニメーション作品として初の最優秀脚本賞を受賞した。
1000年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。
日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で都会を満喫する。
一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている夢を見ていた。
心と身体が入れ替わる現象が続き、互いの存在を知った瀧と三葉だったが、やがて彼らは意外な真実を知ることになる。声の出演は瀧役に神木隆之介、三葉役に上白石萌音。その他、長澤まさみ、市原悦子らが出演。

2016年製作/107分/G/日本
配給:東宝

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◯時系列が違う瀧と三葉

 

 本作の入れ替わりは他の作品と比べてちょっと特殊です。

それは“時系列”が違うことです。キャラクターの年齢から整理していきます。

 

 大前提として、作中で登場する瀧と三葉は“どちらも高校二年生”です。

そのことを念頭に入れてみていきましょう。

・立花瀧は2016年の時点で17歳。

・宮水三葉は2013年の時点で17歳。

 おわかりでしょうか? 

ふたりとも17歳なのは変わりないのですが生きている時代が違います。

つまり、瀧は過去の人物と入れ替わっていたことになります。

ちょっとややこしいですね。

 

 さて、瀧と三葉が違う時代に生まれたのはわかりました。

続いて、作品全体を思いっきり整理しちゃいましょう!

 

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◯時系列の整理

 

 作品を見たときに思いました。「ん? ドユコト?」。入れ替わっていることでも混乱するのに、時系列まで違うなんて……。

 ということで、映画の内容を時系列順に並べてみました。

※(過去)→(現代)へと進みます。

 

・三葉の母、二葉が病死。父の俊樹が神社を出て町長になる。

・高校二年生になった三葉、瀧との入れ替わりが始まる。

・三葉が瀧に会うために東京に行く(中学三年の瀧、高校二年の三葉と出会う)。

・三葉、髪を切る。

・祭り会場に行く。

・彗星が糸守町に落ちる(中学三年の瀧、ベランダから彗星を眺める)。

(↓入れ替わりによって起きたこと)

・山頂で瀧と出会う。

・町のみんなが避難して全員助かる。

 

 * * *

 

・高校二年の瀧、三葉との入れ替わりが始まる。

・奥寺先輩とデート。

・三葉との入れ替わりが起きなくなる。

・彗星落下の事故のことを知る。

口噛み酒を飲んで入れ替わりに成功。

・山頂で三葉と出会う。

・三葉のことを忘れる。

・大人になったふたりは東京で再会する。

 以上が作品を時系列順に並べた内容です。

「え、なんで全員助かったのに、入れ替わりするの?」という感想を持つ人がいるかもしれません。

 

時系列順に並べても少し複雑ですね。それには原因があります。それは“タイムパラドックス”です。

 次はこの点について考察していきます!

 

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◯『君の名は。』のタイムパラドックスと考察

 

 全員が助かっているなら、瀧が生きている時代でも糸守の人は生きているということ。

それでは作品に矛盾が生じます

いったいどういうことなのでしょうか。重要なのは“山頂”です。

 

 作中後半、最後の入れ替わりをした瀧と三葉は山頂に向かいます。

かたわれどき、もとい黄昏時になった瞬間、ふたりは元の自分の体に戻って再会します。

ここからわかることは、瀧も三葉も高校二年の17歳ということです。

 本来、「かたわれどき」は夜明けを示し、「たそがれどき」は日没を示しています。

しかし本作ではどちらも日没直前のことを指しています。

これは新海誠監督が意図したのか、はたまた無意味なのかわかりません。

 私の考察では、「たそがれどき」を「かたわれどき」と表現することによって、黄昏の不気味さを残しつつ、夜明け、つまり明るい未来がやってくるを表現しているのではないかと推測できます。

 

※「誰そ彼」と書くように、この時間帯は相手の顔が見えにくくなります。

また「たそがれどき」は「逢う魔が時」とも言います。大きな災いが起こりがちな時刻の意味です。

 

 さて、ここで疑問です。山頂のシーンは現代か、過去か?

 

 答えは“どちらでもない”です。

たそがれどきは“あの世とこの世が繋がる瞬間”だからです。

この世の昼はあの世の夜、あの世の昼はこの世の夜。その間に位置するのがたそがれどきです。

 死者はもちろんこれ以上死ぬことはありませんし生き返ることはありません。

死者と生者の時間感覚が同じとは考えにくいです。したがって、このように仮定すると、ふたつの世界がつながった場合、時間の概念が失われます。ゆえに死んだはずの三葉と現世に生きる瀧が出会えたのです。

 

 ふたりが出会ったとき、まだ歴史は変わっていません。

いつ変わったのかというと、たそがれどきが終了した瞬間です。

 三葉が消えたあと、地面に落ちたペンを拾って名前を書こうとします。ですが思い出せません。

そして三葉に関する記憶がなくなって、“大切なもの”という感覚だけ残ります。

なぜ記憶が消えたかというと、三葉たちが助かったからです。

入れ替わっていたことも、彗星の事故で町の人が巻き込まれるのも、すべて“なかった事実”になったからです。

 これは三葉も同様で、瀧の記憶は一切ありませんでした。

 

 それでは他の人はどうでしょう。

被害にあった人、崩壊した町、図書館にあった被害者名簿。

それは日没と同時に消滅したと考えるのがいいでしょう。

少し強引ですが、未来の人間と入れ替われる能力を持つ宮水家の能力なら、大胆な考え方のほうが釣り合いが取れます。

 もちろん巫女の力には代償があります。それが病死した二葉です。ここのお話はまた別な記事でご紹介したいと思います。

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まとめ

 

 いかがでしたか。一見複雑そうに思える本作ですが、時系列ごとに並べてみるとスッキリしますね。

記憶がなくなっても相手のことを想い続ける。心の奥底にある“愛”が垣間見れる素敵な作品ですね。

 それでは次の考察でお会いしましょう。チャオ♪

 

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