映画『言の葉の庭』短歌に秘められた意味とは!?小説版と映画版を徹底比較!!(2)

2013年5月31日に公開された映画『言の葉の庭』。

前回は作中にセリフとして出てくる短歌を考察しました。

[映画『言の葉の庭』短歌に秘められた意味とは!?小説版と映画版を徹底比較!!(1)]

今回はその続きです! 

小説版ではなにが書かれているのでしょうか。

そしてそこに隠されたメッセージとは……!

 もし前回の記事をご覧になられてない方がいらっしゃいましたら、ぜひそちらもご覧ください。

「先生、授業始まりますよー」

 はーい。ということで、早速いってみよー!

作品情報

「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、繊細なドラマと映像美で国内外から人気を集めるアニメーション作家・新海誠監督が、初めて現代の東京を舞台に描く恋の物語。
靴職人を目指す高校生タカオは、雨が降ると学校をさぼり、公園の日本庭園で靴のスケッチを描いていた。そんなある日、タカオは謎めいた年上の女性ユキノと出会い、2人は雨の日だけの逢瀬を重ねて心を通わせていく。居場所を見失ってしまったというユキノのために、タカオはもっと歩きたくなるような靴を作ろうとするが……。

キャラクターデザイン、美術、音楽など、メインスタッフには、これまでの新海作品とは異なる新たな顔ぶれがそろう。短編「だれかのまなざし」が同時上映。

2013年製作/46分/G/日本
配給:東宝映像事業部

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◯小説版と映画版の違い

 小説版と映画版の大きな違いは“内容量”です。

「え? ペットボトルかなんかの話??」

 いいえ違います。映画で語られた話の量と小説に書かれている話の量が違うんです。

小説版のあとがきに新海誠監督が「映画であったとしたらおそらくはとても二時間に収まらないボリュームで、新たに組み立てなおした」と言いています

映画の上映時間が46分ですから、その量は倍以上です。

 映画では雪野先生と孝雄の話がメインです。

小説ではそれにくわえ、ちょっとしか登場していない、孝雄の兄、伊藤先生、相澤祥子など、さまざまなキャラクターの視点で物語が進んでいきます。映画では語られていなかった関係性や葛藤、背景が丁寧に書かれています。

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◯小説版の短歌

 さて、それぞれの違いを話しましたのでメインテーマにいきましょう。

 映画で出てくるふたつの短歌は小説にも出てきます。

特に孝雄が言った「雷神の 少し響みて 降らずとも 吾は留まらむ 妹し留めば」は前のセリフで“、”を用いて強調されています。

“ちゃんと”会うため。

“こんなふうにあの人と終わるわけにはいかないんだ”

 ただ単に、返し歌を教科書で見て言ったわけでなく、孝雄なりの葛藤と想いがあって渡した短歌なのです。

 ふたりはいつも雨の日に会っていました。

それは孝雄が雨の日だけ午前中の授業をサボるからです。

しかし、この日は曇りでした。

年間入園パスも忘れていました。あの人がいるわけない、来るんじゃなかったと思いながらも中に入っていきます。

その道中に彼は自分の想いに気づきます。

雪野先生に会いたい、こんな中途半端な別れをしたくない。

 短歌を言ったあとに雪野先生と会話をします。

そのとき孝雄は「雪野、先生」と区切っていいます。

小説ではそのあとに“、”を使って“雪野先生”が強調されています。

ここからわかるように、孝雄は雪野先生のことを先生としてではなく、ひとりの女性としてみています。

 そのあと雪野先生の家に行くのですが、小説ではここのシーンを言葉でわかりやすく説明しています。

特にふたりの初い恋が表現されてて、読んでいるこっちがにやけてきます。

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◯もうひとつの短歌

 実は小説には他にも短歌が登場します。

しかもたくさん!! 

 セリフとしてではなく、各章の結びに万葉集の短歌が付け加えられています。

それぞれ、話の流れ、登場人物の感情などを表しています。詳しくみていきましょう。

 ※()の人物が視点です。

・第一話:うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天の時雨の 流らふ見れば(孝雄)

・第二話:雷神の しまし響もし さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ(雪野)

・第三話:目には見えて 手には取らえぬ 月の内の 桂のごとき 妹をいかにせむ(秋月翔太)

・第四話:我がやどの 時じき藤の めづらしく 今も見てしか 妹が笑まひを(孝雄)

・第五話:あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る(雪野)

・第六話:ますらをや 片恋せむと 嘆けども 醜のますらを なほ恋ひにけり(伊藤宗一郎)

・第七話:世の中の 苦しきものに ありけらし 恋に堪へずて 死ぬべき思へば(相澤祥子)

・第八話:雷神の しまし響もし 降らずとも 我は留まらむ 妹し留めば(孝雄)

・第九話:夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ(雪野と孝雄)

・第十話:石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも(雪野と孝雄)

 小説にはしっかりと現代語訳と説明が書かれていますので、ぜひそちらをご覧ください。

どれも万葉集からの引用です。

 それと、もうひとつ。雪野先生が中学校のときの短歌。

・ひむがしの 野にかげろひの立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

 陽菜子先生という人の出会い、そして人生の歯車が合わさった瞬間でした。

 また、短歌ではないのですが、『雨の言葉』という詩が登場します。

こちらも映画の雰囲気や登場人物の心境をさりげなく表現しています。

 以上が小説で登場する短歌でした。

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言の葉の庭の短歌に隠されたメッセージ

 なぜこんなに短歌を使うのでしょうか。それにはひとつのメッセージが隠されています。それは……。

“人の営みは繰り返す”

 短歌、あるいは詩、それらは人の感情を表しています。

日本人の季節に関する趣、侘び寂び、素朴さを感じ取れるのが短歌です。

作中(特に小説)ではさまざまな人物が登場します。

葛藤や欲望が展開され、そこに繊細な短歌が加わり、追い風となって物語を進めていきます。

 解説で書評ライターの神田法子さんも述べているように、千年の昔の人の感情と今の私たちの感情が一緒なら、十年経っても“人”は変わらない。慕っていた人を失う経験や息子の姿にハッとするなど、愚かだけどそれが切なくて愛おしい人の生き方なのです。

まとめ

 いかがでしたか。小説ではのちの『君の名は。』に繋がる、“視点の切り替え”が行われています。

第九話では一人称がコロコロ変わっています。

『君の名は。』の小説でもこのような表現をしていて、もはや新海誠監督に代名詞とでも言えるでしょう。

 小説が苦手な人でも、新海誠監督の作品はとても読みやすいです。気になったかたは読んでみてはいかがですか

「先生、時間オーバーしてまーす」

 もうちょっとだけ!! ということで次の考察でお会いしましょう。チャオ♪

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