2017年8月18日に公開された
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
について今日は書いていきますね♪
作品情報
1993年に放送され、95年に劇場公開もされた岩井俊二監督の名作テレビドラマを
「モテキ」「バクマン。」の大根仁による脚本、「魔法少女まどか☆マギカ」の新房昭之の総監督でアニメ映画化。
とある海辺の町の夏休み。
中学生たちは花火大会を前に「花火は横から見たら丸いのか?平たいのか?」という話題で盛り上がっていた。
そんな中、クラスのアイドル的存在のなずなが、
母親の再婚のため転校することになった。
なずなに思いを寄せる典道は、転校をしたくないなずなから「かけおち」に誘われ、
時間が巻き戻る不思議な体験をする。
声の出演は、なずな役を広瀬すず、典道役を本作が声優初挑戦となる菅田将暉、
典道の恋敵となる祐介役を宮野真守がそれぞれ務める。
2017年製作/90分/G/日本
配給:東宝
『打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか』の口コミ
ネットでは批判が多いイメージですが、いったいどうしてなのでしょう。
本作の魅力を2つに分けて考察します!
あーもしも、あのとき告白してればなぁ……ってなんでもありません!!
※以下ネタバレを含みます。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。
〇「もしも」の意味
本作のテーマの核である「もしも」。
町の名前や主人公のセリフでも出てきます。
この「もしも」にわかりやすく付け加えるなら、「もしもあのときこうしてたらな」です。
典道はなずなが連れ戻される後悔から
「もしも」と願いを込めてガラス玉を投げてタイムリープします。
作中の「もしも」はそういった後悔から生まれた「可能性の妄想」なのです。
一番わかりやすいのはラストの場面。
ガラス玉が打ち上がって瞬間、あらゆるキャラの「あったかもしれない未来」が映し出されます。
本作はそのうちのひとつなのです。
そしてその数多の「もしも」から典道はひとつだけ手にします。
それが彼の決断なのです。
エンディングまえ、学校にいなかったことから察するに彼はなずなと東京にいったのではと私は思います。
ゆえに過去に後悔がある人ほどこの作品の核が見えてきます。
また、亡くなったなずなの父親が一瞬映ります。
彼が持っていたのはあのガラス玉でした。
彼女にとってガラス玉は父の遺品であり心の拠り所なのです。
もし父が生きていれば再婚も転校もしなくて済んだ。
ゆえに「もしも」が詰まったガラス玉がトリガーになっているのです。
◯運命と成長
作中前半では一方的になずなが親に歯向かうシーンが描かれています。
特に親に連れていかれるシーンは典道目線で危機迫る描写になっており、
駄々をこねるなずなをわざと幼く演出しています。
その後、ふたりは脱出に成功しますが、号泣する親を見たなずなは暗い顔をします。
前半は親から逃げた一心でせめて今日だけでもと悲観的だったが、
ラストのシーンでは現実を受け止め、開きなった様子で「せめて今日だけでも」といっています。
本作はさまざまな可能性を経験し気持ちに変化が現れ成長するさまを描いているのです。
典道の口癖「わっかんない」は可能性を消すことですが、そんな彼も最後には行動を起こします。
「もしも」の世界をとおして、なずなは大人な思考に、典道は行動的になっています。
これが彼らなりの成長であり葛藤なのです。
最後に
いかがでしたか?
「可能性と後悔」をテーマにした本作は花火の比喩表現が美しく、しみじみとした恋愛を楽しむことができます。
「今行動しなければいけない」というメッセージ性や綺麗な作画がお気に入りの理由です。
あ……やっぱ告白しなくてよかったかな……ってなんでもありませんよ!?
それでは次回の考察でお会いしましょう。チャオ♪